前回のブログ記事が11月12日。
おおよそ14日ぶりの更新でございます。
本当は更新したい記事等たくさんあるのですが、ちょっと諸々あった結果ブログと向き合う時間が作れておりませんでした…。
まだまだこの状態が続きそうですが、時間あるときはまた更新ペースを戻せたらなぁ….なんて。
で、そんな中の話題は……….言葉について
久々のブログですが、思っていることを思うまま書こうかなぁなんておもっているので、まとまっていないところはご愛敬…(笑)
「またね」って言葉が好き
友達、彼女、仕事関連…..人と会う以上、別れの瞬間というものが必ずあります。
そんな時、あなたはどんな言葉を使っていますか?
「じゃあね」
「バイバイ」
「さよならー」
など…..様々な言葉が(もちろん仕事関連とか先輩とか使えない言葉もあるけれども)
その中で、「またね」って言葉が私は好きなんです。
「また会いましょうね」「また今度ね」っていうような意味が内包されている….一言の言葉なのに『強い想いを内包している』という美しさを感じます。
ですので、自然に出るときもありますし、自分自身大切に言おうと意図している部分もあります。
もちろん「またね」って使わない時もありますし、自分が「またね」を使わない時への相手がどうこうというような深いことはありません(笑)
でも、「またね」ってやっぱり好きなんですよね。
言霊って信じる?
「言葉に内包されている強い想い」なんていう話をすると言霊を想起する方もいるかもしれませんね。
声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
要は言葉には力があるって話ですね。
(っていうまとめで合ってます?)
こういった霊学やシャーマニズムについて見識は深くないので学問的なお話はできません。
が、言葉は自分の頭に残るもの…..文字であれ声・音声であれ何かかしら自分の心理に働くのかなーなんてことは思っております。
実は、やりたいこと100リストなるものを密かに作っておりました。
達成したいこと、ほしいものなんてものを欲望のまま書くことでございます。
いわゆる「引き寄せの法則」なんてことが話題に上がると出てくるものですね。
(ここではややこしくなるので言及はしませんが)
で、そのなかの一部が先日書いたブログ記事中にあった内容でございます。
(ハッピーバースデー、俺!次は24年間の集大成、備忘録も兼ねて今何を想っているのか。)
自分の目的とすることを出して、それを見返すことで「自分が何を求めているか」「何をするのか」なんてことが自然とインプットされていくような気がします。
で、これらを望む結果でプラスに発することで、先ほどの「またね」同様強い想いで何か良き結果につながればいいな、なんて思います。
マイナスな言葉もまた然り
そんなこんなで言葉というものを結構大事にしております。
と、ここまで言うとすごくポジティブの人っぽい感じがしますが、マイナスな言葉も存在するわけでして…….
それは意図的に排除するようにしておりますね。
とはいうものの私もここ最近疲れがひどすぎて「疲れたぁ」って言ったり、ふと愚痴を言ったりなんてことはあります。
困ったこと、辛いことあったときは、我慢せず出すことによって楽になることもあるので、マイナスなことを完全になくすなんてことは考えていません。
しかし、言葉を発することによる整理と、発した言葉に呑み込まれないようなバランス感は持ち続けたいですね。
とはいえ、他人の悪口なんてのはもってのほか…..基本的にマイナスな話というのも自分に残るし、あまり自分の中では発したくない言葉ではあります。
(とはいえ、自分も人間なので色々感じたり考えたりする中で、話をフラれたら正直に答えてしまうという部分はありますが…)
そういった場にすらいたくないのが本音でございます。
言葉は広がる、そして悪意を込められる
話し言葉にしろ、メールやTwitter・LINEといった残る言葉にせよ、それは広がります。
そして、それは話し手によっていかなる状態によっても料理されるもの。
悪意がある(=意図しなくとも悪意となるもの)ものも可能….虚偽の情報であったり悪意を込めたニュアンスにしようとすら簡単にできるもの。
だから、自分自身は発する言葉は考えていきたいな…なんて思っております。
もちろん完全人間ではないので、失敗ばかりもしますが。
というのも最近様々なことに巻き込まれ…改めて考えることが多くなりました。
(ただでさえ今仕事が大変な状態なのに、そこで全く別の争いに巻き込まれると疲弊する次第でございます)
悪意のある言葉を見抜ける人(≒一方的な側からの内容を簡単に信じない人)というのが理想的ですが、そういう人ばかりではない人も事実…。
悪意(がなくとも)のあるような言う方もそうですが、その一方だけの話を聴いてそれを信じる方も正直同じなレベルと感じてしまいます(自分はそうならないように気を付けたいという自戒を込めて)
ブログ…ひいては発信者・表現者として大事にしたい感性
“矜持”というとなんだかカッコ良いでしょうが、まさしくそんな感じでしょうか。
たかがブログ、されどブログ。
そして私は声として発信するものもやっております….どちらも媒体は違えど、そして規模は違えど“みな、表現者”であると思っております。
人それぞれ大事にしている部分はあるかと思います。
(逆に何も考えていなくてもそれはそれでありだと思います)
それが、自分の中では言葉。表現の「得手不得手」「上手い下手」、言葉の選び方の巧みさなどある中で、自分はまだまだ未熟者。
だからこそ、この部分は常にブレずに想い続けたい部分でございます。
久々に書いたブログが、ただただ書き殴った内容
さて、今回の記事….自分の中ではあまりやったことのない方法で書いております。
それは…..
思う内容をそのまま書き続けるという部分。
いつも記事を書くときは、“まとめ””ゴール”なんてことを先に考えます。
そして、それから逆算して必要な情報などを加えていくことが多いです。
が、今回はその逆。
つまり….着地点が見えない←
って正直な感想を書きましたが、これはこれでありなのかなーなんて。
なんか優等生的な記事が自分の中で多くなってきた中、自分の想いを書けるなんて言うr媒体があるなんてステキですしね。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
まとまらぬ部分も多かったと思いますが、たまにはこういう記事も….そしてより分かりやすく伝えられるよう精進していきますね。