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因果応報への恐怖|『ジゴサタ』『インガ様応報す』を読んで抱いた想い

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因果応報への恐怖|『ジゴサタ』『インガ様応報す』を読んで抱いた想い マンガ

果応報

原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。善因善果,悪因悪果,三世因果などと表現される。
引用:コトバンク

善人には褒美を、悪人には罰を…。

 

最近この言葉について多く考えさせられるのです。

なぜかと言うと、TwitterやWEBメディア等を中心に活躍している漫画家さんが“因果応報”をテーマにした作品を更新し続けていまして、毎回楽しみに読んでいるからです。

 

その漫画家さんは洋介犬(ようすけん)さん。ホラー漫画家であり、また人間の感情の醜い部分や美しい部分描いたような4コママンガなども発信されています。
※ホラー漫画家なのでTwitterを見る際は一応ご注意を(最近はいきなりびっくりする絵はありませんが笑)

作品の更新が楽しみな一方、因果応報について感じる自分の心自体にちょっとしたもやもやを感じることがありまして…。

今回は因果応報をテーマに考えてみたいと思います。

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因果応報をテーマにした『ジゴサタ』『インガ様応報す』

さて、洋介犬さんが因果応報をテーマに描いてる作品で最近特に楽しみなのは、
2019年5月現在、Twitterで更新されている『ジゴサタ~地獄の沙汰もお前しだい』

地獄の刑吏が、死して地獄に落ちてきた罪人(現世では裁かれなかった悪人)に対し罰を与えていく…しかも犯した罪をテーマとした、まさしく地獄のような裁きかたをするのです。

(ちなみに更新頻度がすごいです)

 

また、コミクリ!を中心に掲載されている『インガ様応報す』

https://kodansha-cc.co.jp/series/ingasama/

こちらはインガ様という正体不明の存在が主人公となり、万引きから殺人までさまざまな罪を犯した存在に罰を与えていきます。

 

どちらの作品も基本的には1話完結でありつつも、ストーリー(『ジゴサタ』は刑吏の秘密や地獄について回を追うごとに明かされていたり、 『インガ様応報す』の方では主人公の正体に関しておう学生がいたりと)仕立てになっています。
個人的な印象を一言で言うなれば、『ジゴサタ』は単なる罪と罰の話だけでなくて感動的・考えさせられる話や刑吏のセリフや感じられる人生訓的な勉強もある話『インガ様応報す』は裁かれていない犯罪者に向けた必殺仕事人的な物語でスカッとすること多めの話という感じでしょうか。

 

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感じる爽快さ、なぜここまで気持ちいのか

今回は特に『ジゴサタ』にスポットを当てたいな、と思います。

例えば5月7日に更新された“悪意の言葉の刃。~ジゴサタ~地獄の沙汰もお前しだい(75)”

地獄に堕ちた男が、どこからともなくやってきた刃に切られていきます。

そして地獄の刑吏が“男が犯した罪(悪意の言葉をかけていたこと)”“罪の理由”を説きます。

 

たった1ツイートに貼られた5コマなのに濃密な要素が入っていると思いません?

もう、これを観た瞬間爽快感がすごかったですね。

 

どうしてここまで気持ちよかったのか考えてみると、

  • 世間で言う極悪人ではないけど、現実世界にも溢れている悪人(=悪意の言葉をかけていた)
  • 読み手が漠然と怒りを感じているけど言語化できないことが言語化されている(=罪の理由)
  • 最終的に悪いことした人が地獄の苦しみを受けて不幸になっている(=因果応報)

という部分にありました。

 

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因果応報への気持ちは”社会への不満”と”自らの無力さ”の裏返し?

最終的に“因果応報”に対して最高に気持ちが高ぶっているわけです。

悪いことした人が苦しむ…なんだか救われた気持ちだったり、言葉は悪いですが「ざまぁみろ」みたいな気持ちだったりでしょうか。

そして、洋介犬先生へのリプライ・コメントなどを見ているとそういう風な想いを持っている人も多いのではないかな、と親近感を感じています(笑)

 

その中で、”どうして因果応報(特に罪人への罰=悪因悪果)に対しての爽快感”のさらに奥にある背景を考えてみたところ、”社会への不満”と”自らの無力さ”という現実世界で感じている想いを胸にしているところにあるのではないかな、と。

 

例えば“社会への不満”
具体的な事件名などは伏せますが、罪を犯しても裁かれない人や不可思議な判決といったニュースが溢れています。
世の中の動きに対して能動的には思わないけど、潜在的に感じていたこと…その不満がきっとあるのかな、と。

 

そして”自らの無力さ”
悪意の攻撃(特に前述の言葉による表に見える傷にならないもの)を受けてきた人…耐えに耐えるしかなく無力さしか感じないこともあります。
自分自身、悪意に対してうまく対応できず、”悪が勝つ(端的な表現ではありますが)”なんてことがありました。
そして、友達がそのような状況に置かれても何も救うことができなかったり。

 

といった、解決するのできない不公平な事実や憎しみ…どこにも行きようのない気持ちが因果応報という不幸への道を信じ、そして因果応報な結果に対して爽快さを感じるのかな、と。

 

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因果応報への恐怖と希望

とはいえ、因果応報と言う気持ちを抱いている自分に対して恐怖もあります。

相手が罪人であれ、”どこまでも地獄のような、そして最大限の不幸を感じて苦しむ姿”を見て爽快感を感じるというのは少なくとも健全とは言い難いですよね。

しかも、ここまで因果応報が上手くいくのはあくまで漫画…現実世界に因果応報はどこまであるかわかりませんし、先述の気持ちがでてきたら、いよいよ私のほうが刑吏さんに説かれそうです(笑)

 

と、ここまで因果応報の悪因悪果の面だけで話してしまいましたが、善因善果はどんどんやっていきたいものです。

もしも自分の無力さから悪への想いが強まってしまうのであれば、それ以上に善きことへの想いや光を目指した人生を歩んでいきたいものです。

 

そして一つの作品(ひいては一つの5コマの物語)でさまざまな気持ちをいただかせる洋介犬先生の観察眼のすごさを感じずにいられません。

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